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浮ついた毎日を送っている。ただの会社員たる僕の身には過ぎたる話ばかりで、昔取った杵柄だとか、信頼関係がここに生きてくるとはとても思っていなかった。何か生み出すとすら思っていなかった。ただ現実に何かを生み出そうとしている。
薄い乳白色の仮設住宅の天井を眺めながら思うことは、実にいまさらな話で。心を失い、身を削るような毎日の中で、帰る場所、家族、友人、そんな当たり前が損なわれずに、寧ろ確たるレゾンデートルをもってそこにある事にいまさら気づき、思う。ああまだ僕らには生きる理由もあって、目的もあるんだと。
この浮き沈みの激しく、見損なうことも多い日々の中に在って、誰かに対価を求めずとも、自我にカタルシスを求めずとも、まだまだ僕らにやれることはあるんだと、見損なうような人格や、損なわれるだけの関係ばかりじゃないと思うと、無性に、その無償に、思わず泣けてくる。そこに掬えるものはきっとあるんだと信じられる。
たとえばこの試みが無産だとしても、何かを残すことはできたんだと思える確信がある。その日々はとても幸せだと思える。たとえば隣に座る人がいないあなたとか、あるいは僕とかに、一時でもその共感を、シンパシーを提供できると。確たる証拠はないが信じている。それはたぶん最後まで揺るがない。
ただ、誰かに言わせればまだ僕らは浮き足立っているし、同意する。すごく皮肉で平易な比喩だけど、僕らはまだ、あの日の波に流されたまま漂う海月でしかないように思う。確信は得た。次は指針なんだと思っている。
ずっと、6年も密やかなSNSで続けてきたブログを移転する。二つのSNSをまたぐのが面倒というのもあるけれど、僕自身のが追求しえることも、またたった一つでしかないという自戒も、大げさながら込めている。
たぶん人が見ても何も面白くないけれど、日記なので許されると思う。
薄い乳白色の仮設住宅の天井を眺めながら思うことは、実にいまさらな話で。心を失い、身を削るような毎日の中で、帰る場所、家族、友人、そんな当たり前が損なわれずに、寧ろ確たるレゾンデートルをもってそこにある事にいまさら気づき、思う。ああまだ僕らには生きる理由もあって、目的もあるんだと。
この浮き沈みの激しく、見損なうことも多い日々の中に在って、誰かに対価を求めずとも、自我にカタルシスを求めずとも、まだまだ僕らにやれることはあるんだと、見損なうような人格や、損なわれるだけの関係ばかりじゃないと思うと、無性に、その無償に、思わず泣けてくる。そこに掬えるものはきっとあるんだと信じられる。
たとえばこの試みが無産だとしても、何かを残すことはできたんだと思える確信がある。その日々はとても幸せだと思える。たとえば隣に座る人がいないあなたとか、あるいは僕とかに、一時でもその共感を、シンパシーを提供できると。確たる証拠はないが信じている。それはたぶん最後まで揺るがない。
ただ、誰かに言わせればまだ僕らは浮き足立っているし、同意する。すごく皮肉で平易な比喩だけど、僕らはまだ、あの日の波に流されたまま漂う海月でしかないように思う。確信は得た。次は指針なんだと思っている。
ずっと、6年も密やかなSNSで続けてきたブログを移転する。二つのSNSをまたぐのが面倒というのもあるけれど、僕自身のが追求しえることも、またたった一つでしかないという自戒も、大げさながら込めている。
たぶん人が見ても何も面白くないけれど、日記なので許されると思う。
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